「日本万国博覧会」終了後に「太陽の塔」を除いた施設は全て取り壊されました。
その広大な跡地は「万博記念公園」として生まれ変わりました。
「日本庭園」はこの「万博記念公園」の中にあります。ここを訪れる1番の目的はもちろん「太陽の塔」を見ることですが、必ずこの「日本庭園」も散策します。美しい庭園を眺めているだけで豊な気持ちになれます。
1970年の当時僕は東京の小学生でとにかくこの「日本万国博覧会」に行きたくて、行きたくて仕方がありませんした。裕福な家庭の同級生たちは夏休みなどを利用して「日本万国博覧会」に東京から大阪まで行っていました。僕も親に「連れて行って!」と懇願しましたが、貧しかった我が家では「うちのどこにそんな大阪まで行く金があるんだい!その辺の原っぱ※で遊んでな!」とその場で却下され、願いが叶う事は閉会までありませんでした・・・幼心に ”格差”を感じたのでありました・・・
※原っぱ(はらっぱ)
当時の東京都下には ”原っぱ(はらっぱ)”と呼ばれる誰の土地とも分からない自由に出入りできる土地があって子供たちは思い思いに遊んでいました。雑草が程よく生えているのでクッション替わりになって転んでもあまりケガをしませんでした。”原っぱ”は活発な子供たちの格好の遊び場でした。いつの頃からか東京から”原っぱ”がなくなり子供たちは外で遊ばなくなりました・・・
そんなトラウマもあってか、「日本万国博覧会」のシンボルで現在も残っている「太陽の塔」への憧れが長年僕の頭の片隅にありました。
実際に「万博記念公園」に行けて初めて「太陽の塔」を目の当たりにしたのは約10年前ですが、その時の感動はいまだに鮮明に記憶しています。あまりの存在感にひたすら圧倒されてしばらくその場から動けませんでした。その時「畏怖の念を抱く」とはこういう感覚だと思いました。同じような感覚をスペインのマドリードでピカソがドイツ軍の空爆に対する抗議を表明するために描いた「ゲルニカ」を生で見た時も感じました。
それまで岡本太郎氏は当時テレビのコマーシャルで「芸術は爆発だ!」と言っていた印象が強くて「爆発おじさん」みたいなイメージだったのですが、実物の「太陽の塔」を見た瞬間に「真の芸術家」として認識して、心の底から尊敬するようになりました。
それから事あるごとにここを訪れるようになりました。今までに7~8回は来ていると思います。その度に「太陽の塔」は新しい感動を与えてくれます。100年後も200年後も今の姿のまま佇んでいると思います。
皆様にも是非とも実物をご覧になっていただきたいです。
今回は個人的な思い入れが強い「太陽の塔」を語らせていただきました。(サトーB)