歴史を築いた偉大なベーシスト達 第10回
このシリーズも回を重ねる事、第10回を迎えました。

記念すべき第10回は大御所の中の大御所、何というか一人のベーシストという枠を超えて一つのジャンルとしてスタイルを確立させた、正に「歴史を築いた偉大なベーシスト」の登場です!
マーカス・ミラー(Marcus Miller 1959年~)

ジャズ・フュージョンやエレキ・ベースに少しでも興味のある方は名前くらいは聞いた事があると思います。

ご存じの方からすれば「何を・・・今さらマーカスかい・・・」と言われそうですが・・・

マーカスは既に1970年代後半の20歳くらいの時には競争の激しいニューヨークでスタジオ・ミュージシャンとして活躍していました。

この段階でニューヨークの音楽業界では「若き凄腕ベーシスト」として注目されていましたが、そんなマーカスの名前を世界的に響かせるきっかけが・・・
マイルス・デイビス

”モダン・ジャズ界の帝王”ことマイルス・デイビスが1980年に5年間の沈黙を破って活動を再開しますが、何とその新たなプロジェクトにマーカスをメンバーとして大抜擢したのです。

これは大事件でした!

当時マイル・デイビスと言えばジャズ・フュージョン界のみならず、神のような存在です。マーカスがいくら若くて上手いといってもマイルスと比べると駆け出しの鼻たれのヒヨッコです。格が違いすぎるのです。なので世界は仰天しました。

「マーカス・ミラーっていう若いベーシストは上手いと評判だけど、まさかマイルスがメンバーとして使うとはね・・・そこまでとは思わなかった・・・大丈夫なのかな・・・」こんな感じです。

マイルスはマーカスをはじめとする若手メンバーでアルバム「マン・ウィズ・ザ・ホーン」を1981年に発表。ツアーを敢行し日本でもコンサートを行いました。

結果、マーカスは”マイルス・バンドのメンバー”という大役を見事にこなし、二十歳そこそこの若さでベーシスト、ミュージシャンとしての世界的な地位を確立します。

マイルスはその後もマーカスを全面的に信頼し1886年のアルバム「TUTU」ではマーカスにプロデュースまで任せています。

それ以降、マーカスは常に世界の音楽シーンのトップで現在に至るまで活躍を続けています。

つまり、マイルスは当時世間的には無名だったマーカスの類まれな才能を見抜いていたのです・・・さすがですね・・・
スラップ奏法

ベーシストとしてのマーカス・ミラーを解説すると軽く本が一冊書けてしまうほど宝の山なのですが、中でもこの「スラップ奏法」は欠かせません。

当時は「チョッパー」と呼ばれていた、右手の親指で弦を叩き、また人差し指や中指で弦を引っ張ってはじいて発音させるこの奏法は元々はファンクの父”ラリー・グラハム”によって確立されました。

その後もルイス・ジョンソンなどにより広められた見た目も派手なこの奏法はエレキ・ベース自体の存在感と関心度を高めました。

派手さが先行してしまい、ヘタすると「ハッタリ」っぽくなってしまうこの奏法をマーカスはより音楽的に緻密で上品な奏法へと昇華させ「モダン・スラップ奏法」を確立させました。
デイビット・サンボーン

マーカスの「モダン・スラップ奏法」の代名詞として有名なのがサックス奏者、デイビット・サンボーンと共演の「ラン・フォー・カバー」という曲です。6連符や32分音符の超絶技巧てんこ盛りの、これぞモダン・スラップ!と言わんばかりの”マーカス節”が炸裂しています。
ソロアルバム

マーカスは多数のリーダーアルバムを発表しています。

ベースプレイはもちろん、彼の音楽そのものがニューヨークを拠点とするブラック・コンテンポラリー・ミュージックの基本として確立されています。

”ニューヨーク・サウンド”=”マーカス・サウンド”と言っても過言ではない程一つのジャンル化されています。


エレキ・ベース奏者としては名実ともに最も成功を収めた音楽家の一人である事は間違いないマーカス・ミラーは現在62歳ですが、まだまだバリバリ元気に活躍しています。
今後も目が離せません。(サトーB)